私は 「社会人」 という言葉に、ずっと違和感を感じていました。

「もうすぐ社会人になるのだから」 とか 「もう社会人なんだからしっかりしなさい」 だとかよく言われたり耳にしますよね。

学生時代からうっすら感じていましたが、実際に就職してからその違和感が確固たるものとなりました。


そもそもなぜ就職するといきなり 「社会人」 などと呼ばれるのかがわからないんですよね。

言葉の意味だけで捉えるなら「社会に生きている人」 を指すので、それなら学生であっても無職でも、生まれたばかりの赤ちゃんであっても当てはまりますよね。

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しかしながら日本では、社会人とはすなわち働いている人だけを表す言葉となっているのです。

非常にぼんやりとした言葉ですが、具体的に突き詰めていくと、「社会に対して労働という責務を負い、社会に貢献していく人物」と考えることができます。


でもこれって、日本語特有の表現であって非常に複雑ですし、諸外国ではあまり見られないものです。

実際、英語で社会に生きている人は paticipant in civil society ですし、労働者であれば worker が当てはまるでしょう。

このことから考えると、日本語でいうところの社会人とは、このpaticipant in civil society と worker を掛け合わせた表現なのだと捉えられます。

つまり、社会に生きている労働者ということになり、それならもはや労働者と呼べばよいのではないかと思ってしまいます。



では、どうして日本ではわざわざ社会人などという、分かりづらく回りくどい言い回しが一般的となっているのでしょうか。

それは資本主義における資本家と労働者という構造を見て取ればわかるでしょう。

資本家は労働者に頑張って働いてもらいたいんですよね。なぜなら労働者が頑張れば頑張った分だけ自分たちの利益が最大化されるからです。

そのため労働者を鼓舞することが必要なのですが、給与といったインセンティブをなるべく使わずに、しかも労働者なんだから頑張れといった上から見下すような表現でもない言葉が必要になります。


そんな魔法の言葉がまさに社会人なんですね。

言葉のアヤなんですが、労働者なんだから頑張れといわれると気力が削がれますが、社会人なんだから頑張れとなると、途端に身が引き締まってしっかりしなければと感じてしまいます。


つまり社会人という言葉は単に労働者を鼓舞し資本家の利益を最大化するための、都合の良い言いかえに過ぎないことが分かります。

今後もこのような社会人という都合の良い言葉に惑わされず、自らが資本家に使われる労働者であることを自覚しながら資本主義社会を生きていきたいと思います。